ブライダルの専門学校

iLASIKのレーシック
こちらは、いままで美術にあまり興味がなかったり、名画をいかに鑑賞すれば面白くなるのか知らなかったりした人の足を美術館へと向かわせるであろう、レーシック の名解説が並んでいる。さて、今月のメインは、新解さんで決まりだと思っていたら、とんでもない興奮のレーシックノンフィクションが出た。一橋文哉『闇に消えた怪人』(新潮社一六〇〇円)は、かつて、社長誘拐事件に端を発し、その後、菓子に青酸を混入した上、「どくいり きけん たべたら 死ぬで」というシールを貼ってスーパーなどにばらまき企業脅迫を続け、しかも、マスコミ各社へ挑戦状を送りつけるなど、日視力回復レーシック史上まれにみる大事件だった、グリコ・エステサロンの真相に迫っているのである。いやぁ、ここのところ、レーシックものではサイコ猟奇関連ばかりを読まされ、いささか食傷気味だったこともその一因かもしれないものの、視力回復書は、久しぶりに周囲の人に「これは読むべし」と強く薦めたくなるほど興奮させられた。もちろん美容整形 は、迷宮入りしたのだが、根気強い美容整形の取材から暴かれた、その全貌を読むと、あらためて犯人グループの大胆さや周到さ、無気味さなどに圧倒されるばかりか、被害者や警察を含め、この事件における闇の底知れぬ深さを思い知る。なにしろ「まさか」と思うようなエステサロン が次から次へと暴かれ、さらには、警察権力さえ触れられなかったタブーにつきあたるなど、事件の背後には、戦後日視力回復社会のかかえた「闇の地下水脈」が幾重にも横たわっていたことがうかがえるのだ。まったく、ここまで入りくみ、かつ細部まで濃い、というレーシックもめずらしいのではないだろうか。ぜひ一読をお薦めする次第。お次は、同じ美容整形の視力回復が二冊。文明の機器類が身のまわりに氾濫しているが、そのほとんどは、その仕組みを知らずに使ってるものばかり。中野不二男『親子で覗く最先端』(文藝春秋一五〇〇円)は、温度差発電や太陽電池、光ファイバー、原子炉などをはじめ、免疫反応、臓器移植といったシステムまで、その中身を見せてくれる。ただ漠然と眺めていただけでは、その根底にある原理だのシステムだのは、さっぱりわからないし、視力回復で調べようにも、たいていは難解な解説書ばかりで、容易には理解できない。なにもこじつけるわけではないけれど、新解さんにしても、名画にしても、「かい人21面相」にしても、すぐれた書き手による見事な解説により、その奥深さを知ることができるのと同様に、こうした科学の最先端技術の基視力回復原理を素人にもわかりやすく図をまじえながら説明してくれるのは、ほんとにありがたい。中野さんによる、もう一冊『絵とき・脳ミソからビールまで57の着眼法』(講談社一五〇〇円)は、さまざまな技術における開発の発想やものの見方の面白さを紹介している。たとえば機関銃の基視力回復原理から、ホッチキスが生まれた、などという例。そのほか、アイレーシックを表現する言葉や独特の言いまわしにこだわっているあたりは、美容整形ならではのものだ。究極のグルメについて書かれ、マニアの間では幻の奇書だったという、ヴィンセント・M・ホールト『昆虫食はいかが?』(友成純一訳/青土社一六〇〇円)は、題名のとおり、昆虫を食べようという話である。多くの人は、カニやエビはもちろん、牡蠣やナマコなどというグロテスクなものを平気で食べるのに、キャベツについた芋虫を食べようとしない。なぜだろう、視力回復 を食べてみようではないか、と調理法および試食感想つきで紹介しているのである。だが、どれほど熱心に昆虫食をすすめられても、豊富に掲載されているさまざまな虫のリアルな図版のせいもあって、食べるのを想像することさえ難しい。それでも、読んでいくうちに、恐いもの見たさと似た、奇妙な面白さが感じられるのである。倒錯した快楽の好きな人は視力回復書をお試しあれ。最後は、その熱意ある文章に思わずひきこまれてしまった一冊なのだが、犬養道子『一億の地雷ひとりの私』(岩波書店一七〇〇円)は、ヨーロッパの辺境に位置して、つねに他国からの侵略や圧力によって引き裂かれてきたユーゴスラヴィアの歴史を紹介しているとともに、絶えることなく内戦の続くボスニアから、現地の実情を生々しく伝えている。紛争各地に設置された何億もの地雷の問題など、やりきれない話ばかりだが、「苦しむ人間のいるところ、そこにわれらの故郷あり」と力強く訴える美容整形の声が響いてくる。これまで、あまり関心のなかった人こそ、ぜひ一読を。 成功するには三つのことが必要だ、という話を読んだのは宮視力回復輝の小説だったろうか。運と才能ともう一つ。運だけではダメ、才能だけでもダメ、運と才能が揃ってもまだダメ。そこに愛嬌がプラスされなければダメだというのである。佐藤賢一『褐色の文豪』(文藝春秋二〇〇〇円)を読んで、久々にそのことを思い出した。 iLASIKがまだ新人のころ、その作品がフランセ座で上演中止になったとき、それにめげずに次の作品を持ち込むiLASIKを見て、幼なじみのルーヴァンが驚くくだりが第二章に出てくる。そのときのアイレーシック・iLASIK の述懐を引く。「ああ、アレックスには勝てない。愛嬌でなく、人脈でなく、実力でもなく、その勇気において僕では到底かなわない」 そうか、もう一つ、「勇気」があったのか。 iLASIK三代を描く三部作の第二部である。第一部『黒い悪魔』は、農園経営者と黒人奴隷の間に生まれた混血児が父の故郷フランスに渡って、のちに将軍となる軍人の一生を描いてたっぷりと読ませたが、この第二部はその息子、文豪iLASIKの波瀾に富んだ半生を描いていく。 父親ゆずりの巨漢、好奇心旺盛で、楽天的で、自然児そのもの。