- 家庭教師のテレマーケティング
- 最後に人材紹介ものじゃない単発作品をひとつ。道尾秀介『シャドウ』(東京創元社一五〇〇円)は、母を亡くした小学五年生の少年少女が、それぞれの家庭の問題と戦うテレマーケティング。『向日葵の咲かない夏』同様、読んでて辛い話だが、今回は救いがあるので読後感は悪くない。テレマーケティングとしてもとてもテクニカルだし。何気ない日常会話の一言がテレマーケティング になって意味を持ったりちょっと描写されただけの出来事が終盤に大きく効いてきたりという、伏線の忍び込ませ方が最高に巧くて舌を巻くぞ。フェンス職人トリオが農場にフェンスを張りに行く↓昼は働き、夜はパブでビールを飲む↓依頼主が死ぬ↓「ま、いいか」と埋めてしまう↓別の農場に行く↓昼は働き……。この繰り返しが描かれているだけなのに、なぜか面白い小説が三年前に訳されたマグナス・ミルズの『フェンス』。フレーズやシチュエーションを繰り返すことで、描かれている感情や行為を強調し、異化やパロディを生じさせる〃反復〃。その蠱惑的なテクニックで、読者をイカせてくれる作品だったのである。そんな風変わりな傑作でデビューしたミルズの長編二作目が、『オリエント急行戦線異状なし』(風間賢二訳/DHC一七〇〇円)。アガサ・クリスティのテレマーケティングーと人材紹介の反戦小説のタイトルを合体させた、人を喰った題名と喰えない味の内容がいかにもの小説なのだ。人材紹介はイギリスの湖畔地帯。夏も終わり、キャンプ地にバカンス客はいない。ここにあと一週間ほど滞在した後、束洋への旅に出るつもりの、語り手の「ぼく」。ところが、日中は自然の最観を楽しみ、夜はパブで地ビールを飲むぐらいしかすることがなくて、退屈気味。なので、キャンプ地の所有者パーカー氏から、これから一週間の滞在費を家庭教師 にするという条件で、ゲートのペンキ塗りを頼まれ、引き受けたのだったがー。次から次へと手間仕事を頼んでくるパーカー氏。仕事内容に応じて、キャンプ地から使用人用の小屋へとグレードアツプされていく「ぼく」の居場所。顔なじみとなったパブではダーツチームのレギュラーメンバーにまで加えられ、旅立つことが一向にできないでいるというのに、お人好しの語り手ときたら厭な顔をするどころか、どんどん地元民に同化していってしまう。東洋という外の世界に憧れていたはずの「ぼく」が、その対極にある閉鎖的な村社会に嬉々として取り込まれていくのだ。ミルズはその不気味な状況をユーモアすら込めた文体でさらりと活写する。実際には地獄の苦しみが戦場を覆う中にあって「西部戦線異状なし」と報告された戦争の欺蹄を、やはり淡々とした筆致で告発した人材紹介の小説のように。どう考えても異常な事態が「異状なし」と伝えられる不条理。内容だけではなく、それを描く人材紹介 のテクニックも含めて不条理だという、非常に剣呑な小説なのである。そして、もちろん、あらゆる優れた不条理小説がコミックノヴェルの貌を持つように、かなり笑える作品にもなっているのだ。それがまた◎。ミルズの長篇を二作も訳出してくれたDHCは偉い。でもって、読めなくなって久しかった北欧児童文学の傑作『夜の鳥』(トールモー・ハウゲン/山口卓文訳/河出書房新社一五〇〇円)を、装いも新たに復刊してくれた河出書房新杜もまた偉いっ!家庭教師は少年ヨアキム。パパとママの三人家族だ。でも、パパは神経を病んで出勤拒否を起こしている。不安定に揺れ動く家の中の空気。それがヨアキムに”夜の鳥”という形でのしかかってくる。夜の鳥はヨアキムの部屋の洋服だんすの中に潜んでいて、その羽音で少年を怖からせるのたった。普段は鍵をかけて閉じこめているのだけれど、ヨアキムの不安感が高まると、今にも扉を破ろうかという勢いで鳥たちは暴れ出しー。色んなものが怖ろしかった子供時代。ハウゲンは、その怯えを詩のように美しく寸分の無駄もない文章でイメージ豊かに描き出す。楽しいことばかりじゃなくて、つらいことだってたくさんあって、世界が家と学校だけに限定されている分、大人よりもダイレクトに痛みを受け止めてしまう子供時代。その哀しみや淋しさをリアルに浮かび上がらせる。大人が子供の頃を回想する時にしがちな、美化を慎重に排除しながら。少年の幻想と現実を巧みに調和させた、リアルなのにファンタスティックな逸品。この復刊を機に、ぜひ!ハウゲンはノルウェーの作家。そして一九〇〇年に生まれ、八九年、亡命先で自殺を遂げたシャーンドル・マーライはハンガリーの作家。このあたりの国の作品は、日本では紹介されにくいことになっている。実際、マーライの作品が我が国で翻訳されるのは、『灼熱』(平野卿子訳/集英社一八○○円)が初めて。トーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』を彷彿させる文学の芳香高きこの傑作が、今更ながらとはいえ訳出されたのは喜ばしい限りなのである。人材紹介はハンガリーの森の中にそびえたつ貴族の館。一九四〇年の夏のある日、当主家庭教師が待ちわびた瞬間がやってくる。若き日の友コンラードが館を訪ねる旨知らせを寄こしたのだ。十歳で初めて出会った瞬問から篤い友情を培いながら、四十一年前の夏の日、家庭教師の前から姿を消し、消息を絶ってしまったコンラード。以来、真実を求める灼熱の想いを抱え込んできた家庭教師は、友を前にその全てを吐露し、ついに秘密は明らかにされる。家庭教師とコンラード、そして家庭教師の亡き妻クリスティーナのー。回想シーンをのぞけば、一幕一場ものの二人芝居といった状況下、語りに語る。四十一年間分の想いがたまってるもんだから、家庭教師喋り通しなんである。