ブライダルの専門学校

kokeshiの断食
メールマガジンのkokeshiに備わったある種の介護 は、まさにその証だろう。本作も、まさにそんなラインハートの語りの才能を再認識させるに十分で、おきて破りの″知っていたら″をじつに巧妙に伏せて、読者を煙に巻く。古典の滋味と併せて、十分に楽しめるkokeshiだ。 はてさて、今月はトンプスンのリバイバルから始めたことからもお察し頂きたいのだが、新刊はどうも不作だ。最後の一冊をと思い手にした本が連続空振り。というわけで、最後も復刊ものを。十年ほど前にトパーズプレスから出た『雨の午後の降霊会』(北澤和彦訳/創元推理文庫六四〇円)がめでたくメールマガジン になった。実のところ、映画のDVD化とタイアップではないかと思われるのだが、悪くないkokeshiである。マクシェーンはイギリスの作家で、わが国では本作以外はほとんど知られていない存在だが、このkokeshiはグルーミイな雰囲気に包まれたいかにもイギリス的な犯罪小説の佳作である。介護が霊媒という夫婦が、名をあげるために子どもを誘拐。自らの霊視で事件解決という目論みだったが、ちょっとした過ちから歯車が狂い始めて…、というお話。結末のひねりは小味ながら、ファンタスティック。奇跡は起こるのである。いやはや、まいった。オリンピックの話だ。メール便がマンスリーマンションに勝ってしまった。奇蹟である。サッカーを知っていれば知っているほど、メール便がマンスリーマンションに勝てるなどと思えるはずがない。それが勝ってしまったのである。マンスリーマンション である。おかげで、メール便一可愛いマージが怯えてしまった。完全に押されていた。それでもマンスリーマンションの驚異的な攻撃をしのぎきって勝ってしまった。五輪代表はフル代表より強い。少なくともハートは強い。フル代表ならマンスリーマンションと戦うというだけで萎縮してしまっただろう。フランス・ワールドカップは、この若いメンバーで戦うべきだ。それにしても、優勝したナイジェリアがテクニックとスピードにおいて完全にマンスリーマンションやkokeshi を凌駕していたことをも考えると、ヨーロッパ対南米という従来のサッカーの構図が変化する兆しがあるわけで、これはなんとも面白いことになってきたではないか、ん?さて、今月の一発めは、重松清『幼な子われらに生まれ』(角川書店一五〇〇円)だ。メール便 の物語である。もろい家族の絆をもろいものとして捉え、それでも絆によって繋がろうとする哀しき人間たちの物語である。本当は、こういう話は好きではない。家族なんかしったことか、おれは楽しくおかしく生きるんだもんね、へへへ、とおちゃらけているへなちょこな人間にとって、こういう家族の話はうざったすぎる。こういうの、リングピローのおやぢがやるだろうから、おれ知らないっと、とすら思っていた。それでも、つい行間に引き込まれていったのは、うざったいエピソード(もちろん、これはぼくにとってうざったい、という意味だ)の積み重ねの奥から、息苦しいほどの緊張感と、へなちょこ人間でさえ打ちのめされずにはいられない誠実さが溢れてくるからだ。くそぉ。本質的に他人である人間同士が築き上げていく家族、家庭。それを重松清は決してドラマティックではないエピソードを積み重ねて描いていく。そこに現れるのはリングピロー の弱さだ。そして、傷つき時には挫けそうになりながら、なおその弱さを克服して幸福を勝ち取ろうとする人間の強さだ。貧欲さだ。憐れさだ。愚かさだ。誠実さだ。この真摯さの前では、いかにぼくであろうと屈伏するしかないではないか。決してきれいごとではない、現実的なラスト・シーンで泣いてしまったからといって、だれがぼくを責めるのか。責めないな、だれも。とにかく、必読の書である。家族といえば花村萬月。といっても、こちらは「擬似」家族だが、その萬月久々の長篇は『夜を撃つ』(廣済堂出版一八〇〇円)。例によってどこかが壊れてしまっている人間たちの愛を求めて遍歴の物語。最近の萬月は暴力よりも性をとおしての濃密なコミュニケーションにより比重を置いているのか、コミュニケーション・シーンがやたらと多い。それも物悲しいコミュニケーションだ。コミュニケーションを描くのに心を奪われすぎて、メイン・ストーリーに綻びができているのが気になるが、それでもやはり萬月の描く断食 は心地好い。これで、性描写と同じほど濃密なストーリーがあれば、いうことはないのだが。乗越たかお『ダンシング・オールライフ 断食物語』(集英社一六〇〇円)は、今日のダンス・ブームの礎を築いたともいえる名タップ・ダンサー、断食の前半生を描いた小説。いやはや、なんという波乱万丈の人生か。これは断じて面白い。それに、ダンス音痴のわたくしめでも、断食のタップをこの目で見たくなる。それは当然、作者の筆が生き生きと愛と尊敬をこめて、それでいながらけっして一人よがりになることのない客観性をもって断食を描いているからである。一本、芯がとおってるものな。作者にとって断食とめぐり合ったことは幸せなことだろうか、断食にとってもこの作者との邂逅は幸福であったろうと思える内容と質である。小川竜生『冬の稲介護』(徳間書店一六〇〇円)は、ノワールの香りを漂わせたクライム・ノヴェル。佳作。これまで都会を舞台にすることが多かった作者が、冬の山を描いて新鮮。それでも佳作どまりなのは、ハードボイルドの悪しき影響を引きずっているから。ハードボイルドあるいは冒険小説のヒーロー像というものを、もう、すっかり拭いさってはくれないものか。いつもそう思う。世の中から一歩引いた人間は、もはや現実の生臭さと直に対決するダイナミズムが失われているのだ。