- 外貨預金のIPO
- 朴美景『走れ、IPO!』(ランダムハウス講談社一四〇〇円)は、自閉症と診断ざれた外貨預金を持つ母親の手記。「マラソン」というタイトルで映画化した。IPO について基礎知識があると滅法泣ける映画です。長谷川啓三『ソリューション・バンク ブリーフセラピーの哲学と新展開』(金子書房一八〇〇円)。ブリーフセラビーというのは、小さく・受け入れやすく・株 を持って、介入するカウンセリングの方法。「原因の除去=解決」と考えないのが新鮮だ。靴箱に「死ね」などという手紙を入れられいじめられてた子には、先生と靴箱を替えてもらうという介入を行って解決した、というような事例がたくさん載っている。心はファンタジックな性質を持っているもので、精神分析とはこのファンタジーの分析であり、分析結果もまたファンタジーだという認識がこの本で述べられているが、だとすると高橋準『ファンタジーとジェンダー』(青弓社一六〇〇円)は、ファンタジー為替であつかわれるジェンダーを分析することで、現実のジェンダーの問題をリフレーミングする試みだとも言えるだろう。「男装する女性」「戦う女性」「家族」といったテーマを軸に「十二国記」「ハリー・ポッター」「ダイン・サーガ」「指輪物語」と取り上げる作品の幅の広さが嬉しい。長嶋有『いろんな気持ちが本当の気持ち』(筑摩書房一三〇〇円)はエッセイ集。世界についてまだ何も知らない子供が次々と発見する様子が楽しいように、大人になっても見つけてしまう感じが楽しい。というか」世界にはまだまだ発見できることがあるんだって勇気づけられる。いっきに読むのがもったいないから、ちびちびと。内山哲夫『転落弁護士 私はこうして塀の中に落ちた』(講談社一六〇〇円)は、札束と女体の誘惑に負けて転落した弁護士の手記。悲劇的な内容なのに、無邪気にも思える外貨預金 が子供の作文みたいで、たくまざるユーモアになっていて、なんだか、いい。 四コマ漫画を2冊。ちまきing『あふがにすタン』(三才ブックス一四二九円)は、あふがにすタン、ぱきすタン、うずべきすタンなどの美少女キャラが活躍する世界情勢を四コマ漫画化した異色作。施川ユウキ『サナギさん』(秋田書店三九〇円)、″「帝王切開」を「切開帝王」に変えるとスゴ味が一気に増す!″ とか″「晴れがましい」は「がましい」の部分があんまり晴れがましくない!!〃と愚にもつかないことを考える為替 が素敵な、子供ふしぎ発見ねじれ四コマ。言葉好きな人はぜひ。今年の上半期の翻訳為替における最大の収穫といってもよい作品が刊行された。ドン・デリーロの『アンダーワールド』(上岡伸雄・高吉一郎訳/新潮社上下各三二〇〇円)だ。株のデリーロは、一九七〇年代にデビューしたアメリカの典型的なポストモダニスト。いまではトマス・ピンチョンやジョン・バースと肩を並べる大御所である。ポストモダンとかピンチョンとかいうと、それだけで難しそうで拒否反応を起こされそう。実際、デリーロの八〇年代の代表作『ホワイト・ノイズ』や『リブラ』、そして九一年の『マオU』と訳出されているが、わが国では広く読まれているとはいえないのが状況。この三冊、どれも傑作だけどね。本書は『マオU』から六年の沈黙を破って発表された大作。その年、超寡作家のピンチョンも『メイソン&ディクソン』(未訳)を刊行して、仲良く全米図書賞の侯補になったが、共に落選。受賞したのは、南北戦争を背景にしたチャールズ・フレイジャーの歴史大作『コールドマウンテン』(新潮社)だった。ならば、本書はそうたいした作品ではないのかと思われてしまいそうだが、たぶん、デリーロが受賞しそこなったのは、すでに『ホワイト・ノイズ』で同賞を獲得しているからだろう。株に華を持たせたといった感じ。ちなみに、ピンチョンも『重力の虹』で七〇年代後半に受賞済み。で、本書の内容だが、これを要約するのは不可能。無理を承知であえて二言で述べれば、一九五〇年代から九〇年代にいたるアメリカを舞台に虚実いりまじったさまざまな人びとの言動を通して、二〇世紀後半のヴァーチャルな世界を猫きだした作品といったところ。大衆文化と政治的陰謀とメディア杜会が混在して生成するシミュラクルな現代世界の驚異と脅威がハイパーテクストを思わせるさまざまなエピソード群の結合と編集、そしてポリフォニックな語りと研ぎ澄まされを言語の連なりによって見事に活写された秀作である。ただし、精読・再読の必要とされる本書は、体力(気力)と暇(金)のある読者にしか勧められない。アラン・ライトマンもポストモダン系の作家。デビュー作『アインシュタインの夢』はカルヴィーノの作品を彷彿とさせたが、『診断』(高瀬素子訳/早川書房二六〇〇円)はカフカ風。中年サラリーマンのチャーマーズは、ある日、通勤途中の地下鉄車内で急性の記憶喪失におちいる。会社の場所がわからなくなったばかりか、白分の名前さえきれいに頭から抜け出てしまい、その結果、一種の精神錯乱状態になり……といった物語の出だしの五〇ページほどは無類におもしろい。しかし、その後の記憶を取り戻してからの展開は、主人公がしだいにからだの麻薄していく奇病にかかるものの、社会的地位や家庭を失っていく過程は凡庸。おっと、いそいで断っておくが、“凡庸”といっても、それは奇想天外な展開を好むぼくにとっての話で、一般読者にとっては一種の悲劇的な不条理ドラマとして堪能できるはず。ただ、株のライトマンは天下のマサチューセッツ工科大学の物理学教授でもあり、前作の『アインシュタインの夢』がポストそダンな幻想為替であった。